おはようございます🌞 高衣紗彩です。 2021年2月3日 例年だと、今日は節分ですが、今年は昨日だったんですね。 2025年からは、なんと4年ごとに2月2日になるそうですね。 この例に限らず、当たり前と思っていたことが実はそうではなかった、ということは良くありますよね。これまで常識だったことが、一夜にして非常識になったり、その逆もまた然りだったり。 これが、ふっと感じる、小さな「イラッ」にも当てはまる、としたら、驚くでしょうか。例えば、こんな光景を想像してください。 あなたは、同僚とランチに行きました。目の前に座った同僚が、おもむろにあくびをし、スマホをいじり出しました。あなたは、どう反応するでしょうか。 イラッとする イラッとする方は、もしかしたら、イラッとした後で、「いやいや、そんなことで腹を立てるのは器が小さいな」と思い、疲れているだけだろうと思い直そうとするかもしれません。 でも、スマホをいじり続けている同僚を見ると、やっぱり腹が立つ。 そして、思います。 「いや、一緒にご飯を食べているのだから、失礼だろう。目の前の人に失礼なことをしているのはこいつだ。客観的に見ても、このような扱いを受けたら、誰でも腹を立てる、自分の器が小さいわけではない。」 ・・・。 その後の会話も楽しめず、逆に、美味しそうにランチを食べる同僚に「どうしたの?なんか嫌なことでもあったの?」と聞かれる始末。 午後も、それが尾を引いてベストコンディションで仕事ができず、上司に怒られた。 きっかけは、同僚なのに、あなたの1日は、踏んだり蹴ったりです。 ですが、あなたが「イラッとして当然」と考えるその出来事に、イラッとしない人もいます。その人たちは、例えば、こう考えています。 仕事が立て込んでいて寝不足なのかな、気になる案件があるのかな、家族と連絡を取る必要があるのかな。 いずれにしても、今日はランチは早めに切り上げてあげよう。そうしたら、始業前に少し仮眠を取ったり、家族と電話で話す時間が取れる。 後者の方が良い人ですよ、この人のように、人を思いやれるようになりましょう、と言いたいわけではありません。 あなたの心の状態が、全く180度違う、ということです。 それ以前に、自分自身の「気分」今この瞬間の「幸せ度」が違いますね。 この違いは、どこから生まれるのでしょうか。 それは、その人の「認知」の違いから生まれます。認知の違いを生み出す大元の要因となっているものの一つに、視点の方向性、意識のフォーカスの違い、があります。 前者は、「自分の扱われ方」に意識のフォーカスが当たっており、後者は、「相手の状況」に意識のフォーカスが当たっています。 あなたの心の安定度は、出来事が作り出すのではなく、あなたの意識のフォーカスが作り出すのです。 自分が無碍に扱われた、との認知は、あなたの認知であって、真実ではありません。出来事、事実としては、「同僚はランチタイムにあくびをしてスマホを見ていた」だけです。 一つの事実を、あなたの認知によって、あなたの世界における「真実」にしてしまったのです。 すなわちそれは、あなたが作り出した幻想です。 私たちは、気になっていること、不安に思っていることがあると、その証拠をいともたやすく発見することができる性質を持っています。そして、「やっぱり。自分の危惧はあっていた。」と結論付けます。 そして、自分が作り出した幻想に対して、怒りや悲しみを覚えるのです。 その証拠を見つけた瞬間、幻想は強化され、私たちは、なんと、安心します。 やっぱり、自分の心配は当たっていたのだと。 本来、世界は秩序立っているものですが、幻想の強化を繰り返すことによって、人生がどんどん混沌としたものになっていきます。そして、常に、イラッとしたり、悲しんだり、怒ったり、まるで、感情のジェットコースターに乗ったような毎日が繰り広げられることになります。 逆に言うと、認知と思考のトレーニングをすることで、人生を秩序だったもの(穏やかで調和が取れている本来の形)に戻すことができます。 先に挙げた例は、もうすぐ卒業を迎えるJDS9期の受講生さんが、毎週の振り返りで挙げてくれたものです。 私たちは、私たちが思っているよりも短期間で、穏やかで秩序だった人生にシフトすることができます。 これを行うことで、今、どんな状態にあっても、怒りや悲しみ、批判や非難といった、私たちを本来の状態ー本質ーから遠ざける感情のジェットコースターから下り、穏やかに調和が取れて秩序立った世界で生きることができます。 朝活でも、その一部をご紹介しています。 愛と感謝を込めて
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イラっとしない自分を造る
