子供の頃から親にも先生にも褒められて育った。
受験戦争も就職活動も勝ち抜いて一流企業に入った。
順調に人生を歩いているはずなのに、いつも身体の芯に疲労感がある。
これから先、まだまだ働くのかと思うとため息が出る。
幸せなはずなのに生きるのが辛いと感じている。
今の社会にはそんな人が多いのではないでしょうか。
これはどこに原因があるのでしょう。
今回はこの問題について考えてみます。
目次
人生がうまくいっているのになぜか生きるのが辛いと感じる人は、「他人を喜ばせるために行動する」が常態化しているのかもしれません。
「人のためになることをしましょう」
「人には思いやりを持って接しましょう」
私たちは学校教育でそのように教えられて育ちます。
「会社のために一丸となって目標を達成しよう」
「チームのために全力を尽くそう」
社会にはそのようなスローガンが溢れています。
他者に貢献する。それは素晴らしいことです。
ですが、それには前提があります。
他者を喜ばせる前に自分自身が幸せであることです。
自分の幸せは考えず、他者のことを一番に考えて行動する。
自分を犠牲にすることが社会では讃えられますが、これは自分をないがしろにすることです。
自分自身が喜んでいて幸せだから、他の人にも喜んでもらいたくなる。
自分の安心安全が確保されていて、心が豊かになって、幸せで溢れているから、この幸せを他の人にも分け与えましょうと思えるのです。
他者を喜ばせることが目的化している人は、小さい頃からその行動が身に付いて、自分を犠牲にすることに慣れてしまっています。
例えば、自分のおもちゃを弟が欲しいと言って泣きわめいているとします。それは気に入っていたものではないから自分はいらない、という場合は問題ありません。自分は他のおもちゃで満たされているので、それを弟に譲ると「お兄ちゃん優しいね」と親にも褒めてもらえます。
ですが、、そのおもちゃが欲しくてやっと手に入れたものである時——それでも弟が欲しがって泣きわめいている。親が困っている。それを見て、自分は我慢して弟に譲る。すると「さすがお兄ちゃんは偉いね」と親にすごく感謝される。
この光景だけを取り出すと微笑ましいものではありますが、「自分が我慢することで、他者から賞賛される」体験を繰り返していると、自分の欲求を我慢することで賞賛が得られる、と学習します。人からの賞賛を得ることが目的になり、そのために自分の欲求は抑え込む。それが日常化してしまいます。
そして、この状態でもっと苦しくなってしまうのは、、あなたの行動でいつも人が喜んでくれるとは限らない、ということです。
自分のやりたくないことを我慢してやり続けるのは辛いことです。それなのに想像していたような賞賛が得られないこともあるでしょう。そんな時には大きなショックを受けます。
どっと疲れて、落ち込んで、認めてもらえないのは自分には能力がないせいかと失望します。もしくはこんなに自分は我慢したのに、あなたのためにこんなに時間をかけたのに、どうして喜んでもらえないのかと相手を批難することもあるでしょう。
自分がどのような思いで動いても、他人をコントロールすることはできません。
いくら喜んでほしいと思って行動しても、喜ぶか喜ばないかは相手次第です。
一生懸命やったら絶対に喜んでもらえるという事はありません。
反対に一生懸命やらないと喜んでもらえないということもありません。
あなたの一生懸命度合いと犠牲度合いで相手の喜びが決まるのなら良いのですが、自分の我慢の度合いと相手の喜び度合いは比例しないのです。
ですから、まずは自分を喜ばせる、自分を幸せにすることが大切なのです。
では、自分を喜ばせる人生とはどういうものでしょうか。
人がどんな時に幸せを感じるのかについては、マズローが「人間の5段階欲求」を提唱しています。
人間の欲求にはまず衣食住の確保や安全の確保があります。下位の欲求が満たされると次のレベルのものが欲しくなります。その上位には「自己実現」の欲求があり、そしてそのさらに上に「他者に貢献したい」という欲求があるのです。
ですから「自己実現」の欲求が満たされているかどうかで、他者に貢献したときの幸福感が変わってきます。
他者に貢献したときに、自分の才能が生かされ、自分だけしかできない役割を果たしたという実感があるのはとても嬉しいことです。
これは自分のやりたいことではなかったけれど、我慢してやり遂げたという時の喜びとは全く違うレベルのものです。
人に喜んでもらいたい、他者に、社会に貢献したいと思っている人も、まずは自分が喜びを感じる方法は何かを考えてください。
人間が喜びを感じるのは、、自分の価値観に沿った行動をしているときだと、人間行動学、脳科学上分かっています。
そのため、自分が価値を感じているものを、そのまま他者に渡す——これが本当に他者に貢献するということです。
例えば、料理をすることに価値を感じ、幸せを感じるのであれば、「料理をすること」を通して他者に貢献する方法を考えるということです。
こうすることで、自分を犠牲にするのではなく、自分を生かして、結果として他者に貢献するので、他者貢献の優先順位は2番目になるのです。
なかには小さい頃から親を喜ばせる行動をすることが癖になってしまっている人がいます。
その人たちは我慢するとかいう意識もなく、単に親に喜んでもらいたい、自分の大好きな人に喜んでもらえたら嬉しいという子供の純粋な気持ちをそのまま持ち続けているのです。
ですが、親を喜ばせる生き方をするということは、親の価値観を満たそうとして生きることです。親の価値観に合った行動をすると、親は当然喜びますが親子であっても価値観は異なりますから、親の価値観を優先すると子供自身の価値観は満たされません。
代表的な例として、「結婚することが幸せ」と親は思っており、子供は「独身でいる方が幸せ」であるとの価値観を持っている場合です。
この場合、親のために「結婚しなくちゃ!」と思い、婚活に励むと子供の人生はどんどん辛いものになっていきます。
子供が親の価値観に沿って生きてくれると、親は喜んでくれますが、それは彼らの今までの経験から、その価値観で生きたら子供が幸せになると信じているからです。
本来親御さんたちの究極の望みは、子供が幸せな人生を歩むことです。
ですから、親の価値観で生きてしまっていると気づいた人は、タイミングを見計らって、
「お父さんお母さんの価値観で生きると幸せになると教えてもらってありがとう、でもそれは私の価値観ではないから、私は自分が幸せになるために自分の価値観に沿って生きます」
と、宣言するといいでしょう。
最初は受け入れられないかもしれませんが、あなたが自分の価値観で幸せに生きている様子を見たら、安心して何も言わなくなります。
「幸せに生きるためにはこうしなきゃいけないと信じていたけれど、うちの子は全く別の生き方をして幸せそうだから、その生き方でもよかったのだ」と納得します。
あなたが幸せに生きることが親御さんの喜びになります。ですから、はっきり自分の意思を伝えて、自分で進む方向を決めましょう。
自分の人生は自分の価値観に沿って運転する。それが自分も、他者も、幸せにする方法なのです。
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