このブログにたどり着いたあなたは、自らの進化成長に興味がおありの方だと思います。
どうしたら進化成長できるかを探し、それをすることも大切ですが、何がそれを阻むのかを知り、それをしないことも同じくらい重要です。
今回は、進化成長を妨げる2大要因について、見ていきます。
進化成長を妨げる2大要因とは、以下の2点です。
1. 柔軟性
柔軟性の定義
ここでの柔軟性とは、心と思考の柔軟性です。1つの視点、1つの考えが「素晴らしい!」と思ったり、なるほど!と共感したら、それ以外の考えが入って来なくなることを指します。
自分と異なる意見、自分が信じていることと異なる考えに出会ったら、それを「すぐさま」否定し、なぜ自分の考え、信じていることが正しいのかを「主張」することに腐心します。
人間は、何かを主張しようとしている時、それに心と思考が占領されるため、目の前の人が自分の人生に持ってきてくれている「異なる主張」に耳を傾けることができません。
いつもお伝えしているのですが、自分が正しいと思っていることは、絶対的な真理ではありません。
例えば、Aさんは、「健康にはZが良い」と信じている場合、それは、Aさんが信じる「考え」であって、真理かどうかわかりません。ですが、Bさんが「健康にはYが良い」と言うのを聞くと、「いやいや、YではなくZですよ!」と、一生懸命にBさんに教えてあげる、と言うことをします。
これは、視野が狭くなり、思考が固まっている状態です。ですが、Aさんはそのようには思っておらず、Bさんが間違っているから教えてあげている、と言う、自分の中では「善の行為」と認識しています。
なので、Bさんが一発で納得しないと、何度でも「いや、でも、それでも、Zが良いんですよ。Yはダメですよ」と言い続けます。そして、Bさんが同意を示さないと、段々とエスカレートしていきます。
柔軟性が低いことがもたらす弊害
柔軟性の低さは、話題になっていることが、Aさんの中で、Bさんより自分の方がこの件に関しては知識がある、と思っているときに、より顕著に現れます。
すると、相手の真意や意図から、論点がずれている主張をすることにもなりかねません。
例えば、先の例では、Bさんの発言は、「健康にはYが良いが、何を摂取するかに神経質にならず、楽しく生きることが一番」と言う趣旨だったとしても、「健康にはYが良い」に引っかかってしまって、それは違うと「言ってあげよう」と言う考えに支配されてしまい、そうせずにはいられない状態になってしまいます。
これは、人の意見や言わんとしていることを、「聞けていない」状態を作り出します。
セラピストさんやカウンセラーさんなど、「傾聴」を生業とする人でも、これは起こります。
クライアントさんや患者さんの話には傾聴しますが、それは、自分が信じていることとは反駁しないことだから。反駁しない範囲であれば「傾聴」しますが、反駁することは拒否します。
柔軟性が低くなりやすい状況
私たちは全ての特性を持っていますから、常に柔軟性がない、と言うことはありません。Aさんの場合も、ある面では、柔軟さを発揮しています。
自分が価値を置いていない分野、どうでも良いと思える分野では、あらゆる視点に対し、均等な受け入れ態勢で受け取ることができます。
こだわりが強い部分や、自分が信じていることについては、異なる思考、意見、主張、考え、結論、に出会うと、すかさず「それは違う!」と噛み付きます。
噛み付く、と言う強い表現をしましたが、その様を、一歩引いたところから見ている人にとっては、まさに犬が道ゆく人に「噛み付いている」のと同じに見えます。
これは、短い表現を使うと、「自分の正義を他人に強要する」行為です。
「私はこう信じている、あなたはこう信じているんですね。」
と、2つを同じ重さで受け取ることができません。
低い柔軟性がもたらす弊害
柔軟性に欠ける受け取り方をしている場合、先に信じた方の情報の方が、後から入ってきた情報よりも、「重く、大きく」なっています。
どちらも「1つの情報」であることには変わりないのですが、最初に入ってきている情報に、いわば「肩入れ」している状態になっているので、新たな(最初とは異なる)情報が入ってきたときに、前に入ってきた情報とは、同じ重さ、同じ大きさで、吟味したり考えたりせず、中身を見ることなく拒否してしまいます。
情報が入ってくる順番によって、自分が受け止める重さと大きさが異なってしまう。
これは、とてももったいないことです。新たな視点を受け入れることができないのですから。
精神の進化成長とは、視野が拡大し、視座が高まり、時間軸が長期的になり空間軸拡大することと、JDSでは定義しています。
柔軟性が低いと言うことは、視野が狭いまま、視座が低いままの状態で停滞している状態であり、結果として、進化成長が阻まれることになります。
噛み付くこと、他人の意見に同意ができにくいので、人間関係にも問題を引き起こし、生きづらさを感じることにもなります。
そして、柔軟性の低さは、次の素直さの程度にも影響を及ぼします。
2.素直さ
柔軟性と紙一重の特性として、素直さ、があります。 この特性も、いつも素直な人はおらず、いつも素直でない人もいません。
素直さの定義
素直とは、通常は、何か自分の行いの改善点などを指南されたときなどに、「でも、自分はこう思う。ここは賛成だけど、ここはそう思わない」と「自分の頭で考え」言われたことに素直に従わない、または選別的に従う、などと解釈されることが多いかと思います。
それも「素直ではない」一例ですが、ここでは、もっと踏み込んで、
耳の痛いことや、自分の改善点などをフィードバックされたときに、「なぜ、そうしてしまったのか」の背景説明をする、「そうしてしまった」自分を正当化してからでないと、「自分に対しての」助言や指摘を受け入れられない、ことも、含みます。
最終的には、「素直に聞いた形になっている」けれども、その前に、一旦拒否(自分の正当化)が入る。これは、素直な状態とは言えません。
普段素直な人が素直さを欠くとき
また、自分に対してではない指摘については、素直に聞ける人も、自分のこととなると、途端に低下すると言うケースも多く見られます。
ここには、柔軟性とは異なる「自分に対する思い」が潜んでいます。
それは、「自分は、自分のことを〜だと思っている。」との自己認識です。
この〜の部分が侵される危機と取ると、「いえ、私は〜な人間です」と主張をせずにはいられなくなってしまうのです。
例えば、〜に、優しい、を入れてみましょう。
「私は優しいと思っている」
=自分が自分に持つ「こう言う人」と言う自己認識
上司や同僚に次のように言われた。
「〇〇さん、もっと周りのこと考えてよ。」
=「優しい自分」が脅かされる危機
「考えてないことないですよ!」
「ちょっと今、これこれがこう言う状態で、こうなってしまっただけで」
「私も聖人君子ではありませんから(完璧な人間ではありませんから)常に優しくいられる訳ではないので」
=自分は本当はこう言う人なのに、今は、これこれがこうなっているから、と言う主張に入る。
これは、「背景説明」です。説明というと言葉が良いですが、これを「言い訳」と言います。さらに、今は〇〇が△△だったからと、「責任転嫁」や「他責」の状態に陥っています。
もちろん、本人としては、言い訳をしている認識も、責任転嫁をしている認識もありません。ただ、「どうしてそうなってしまったのか」を説明していると言う認識です。
この、背景説明をすると言うことは、素直に受け取っていない証拠です。
素直とは、上司や同僚の「〇〇さん、もっと周りのこと考えてよ。」をそのまま(自分はそのつもりはないけれど、そう受け取られたと言うことをそのまま)受け入れ、その後に提示された改善点などがあれば、説明なく、「今度からそうしますね。」と言える状態です。
このように言える人は、急速に進化成長を遂げ、自分が輝き活躍する人生を、余裕で楽しんで創り出していると感じます。
この2要素が共通に根ざすもの
上記、柔軟性と素直さが低い状態にあるときに、私たちが持っているものがあります。
それは、自分に対する幻想です。
自分が正しい。
自分は優しい。
幻想とは、ここでは、真実とは異なることを信じていること、と言う意味で使います。
自分を真実より良い方に信じている場合、世の中ではこれを過信と言います。
逆に、
これで正しいのだろうか。
自分は冷たい人間だ。
と言う思いも、幻想です。(論点がずれますが、そこから来る自責の念とは、2つの幻想の上に成り立っています。1つは、自分は冷たい人間だと言う幻想。もう1つは、自分は優しい人間であるはずだと言う幻想です。)
世の中では、これを自己卑下、自己肯定感が低い、などと表現します。
真逆に見えるこれら、過信と自己卑下は、どちらも真実が見えていない=幻想のフレームワークの中に住んでいる、と言う点で、同じ現象です。
成長阻害要因を排除するには
この2つの成長を阻む要因を排除したいと思ったら、できることは2つです。
できること1
何が正しい、何が間違っていると言う2元の(幻想の)世界に住むのをやめる。
私が間違っている、あなたが正しい、と思っている人は、あまりいないので(一時的に認めることはあっても)、2元の世界に住んでいる場合は、大抵は、私正しい、あなた誤り、の世界に住んでいます。
なので、二元の世界に住むことをやめるとは、私が正しい、と言う概念を捨て去ることと同じ、と言うことになります。
そもそも、私たちが持つ物事の正邪の判断は、個々の主観でしかありません。私の正しいは私の主観で、あなたの正しいはあなたの主観、どちらにも優劣はなく、ましてやどちらが正しかなど、決められないのです。それを決めようとしてお互い譲らないのが宗教戦争です。
これは、どんなに自分の専門領域であっても、どんなに勉強してきたことであっても、です。
自分の方が相手より知識が多いと思っても、です。
知識と経験を持つ人は、そうでない人より「正しい」確率は高いですが、そもそもなんの尺度で正しいのかが判断できない以上、常にどれも正しい可能性があるのです。
それが理解できたら、手放すことができます。
それが、「謙虚」である、と言うことです。
できること2
自分は〜である。と言う自己認識(幻想)を手放す。
私たちは、優しくなることもあれば、冷たくなることもあります。このシチュエーションではこちらが出て、この条件が揃ったときにこちらが出る、と言うだけです。
「私は、昔はこうだったけど、ここまで精神的に進化成長してきた。」
「私は人間の本質として、普通の人より思いやりがある」
などと思っているなら、それは幻想です。
それは、すなわち、傲慢、と言うことでもあります。
残念なことに、このようなことをお伝えすると、この課題には直面していない方から「気をつけます!」と感想をいただき、本当にこの課題に直面している方は、「これは私のことではない」とスルーするケースが見られます ^^;
これも、謙虚かどうか、傲慢かどうか、が成せる技です。
人生には、謙虚でなく傲慢なとき、逆に自己卑下しているとき、すなわち、中庸にいないときに、それに気づくチャンスが沢山やってきます。
ですが、傲慢になっているよ、などと言ってくれる人が現れる形ではやってきません。(言ってくれる人がいる環境にいる方は、幸せですね。)
そのチャンスとなる出来事があったとき、自分で、気づくしかありません。
成長阻害要因の排除に役立つ習慣
だからこそ、今日の自分の行動、発した言葉を記録し、振り返ることが大切です。
言動記録は、自分の歪みを映し出してくれるデータです。
振り返りとは、自分の状態に気づき、修正改善するためのチャンスを自ら作り出している行為です。
例えば、自分が正しいと思っていたとき、そうでない意見を聞いたときに、あなた間違っている、と正さずにはいらない。そんなときには、心がワサワサしたはずです。
自分が認識する自分と異なる自分像を示されたとき、背景説明をしながら心がザワザワし、嫌な気分になったはずです。
そのときに、これらのワサワサ、ザワザワは、自分の『何』を示しているのか? を観る。
そうすると、視えてきます。
心がワサワサしたり、ザワザワしたときには、傲慢さに気づき、謙虚な状態に戻るー中庸に戻るーチャンスです。
謙虚になればなるほど、自分らしさが発揮されます。
人生は、進化成長のためのチャンスの洪水であふれています。
それを活用して、どんどん進化成長していきたいですね。
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