2018,09,05
こんにちは!
ミッション・ミッケ人生デザイン研究所 研究員の松野麻由子です。
今回は弊研究所代表の高衣のコーチングメールでお届けした「失望しない人になる」を、ブログ記事としてまとめてお届けします。
生きていると、必ず、何かと失望することに出くわします。
全く失望したことがない、という人は、いないと思います。
そして、できれば何かに・誰かに失望したくはないと思っている人がほとんどではないでしょうか。
そこで今回は、「失望」の正体を明らかにした上で、失望しない人になる極意をお伝えしていきたいと思います。
目次
何かに、誰かに失望した時、私たちの心の中では、何が起こっているのでしょうか。
それを明らかにするために、まず以下の2つの質問に回答してみてください。
質問1:どのような時に、失望しますか?
失望とは、誰かに裏切られた時に起こる。ということが、浮かんだ方。
当然、こうして然るべき、こうあるべき、と思っていたことが、特に、他人の行動の中に見られないと、失望する、と思われた方。
あるいは、
約束などが反故にされた時などに、信頼していた自分の気持ちが踏みにじられた、軽く扱われたような気がして、失望する、と思われた方。
他人もあるけど、自分にも、目指していた結果が出せなくて、失望した、というのもあるかもしれません。
または、
人ではなく、鳴り物入りで見に行った映画やコンサート、絵画展などに失望した、という経験がある方も、多いでしょう。
どれも、あるある、ですよね。
では、次の質問です。
質問2:失望は、主に、誰に対して、何に対して、感じることが多いでしょうか?
もし人である場合、あまり知らない人に対して、失望することはないですよね。
また、映画やコンサートであっても、あまり知らないものに対して、例えば、時間つぶしなどにふらっと入ったもので、失望することは、ないと思います。
失望は、近しい人や、詳しい分野のことに対して起こります。
失望というのは、
「何か比べるものがあって、それに結果が満たないときに、私たちの心の中に湧き上がってくる感情」
なのです。
何も比べるものがない時、失望はしません。
なので、比べるものが知識としてないものには、失望はしないのです。
質問1の回答として挙げた例では、
裏切られる、ということは、「とても強い絆で結ばれている」状況と比べていますし、「こうあって然るべき」の場合は、「然るべき」状況と比べています。
約束を破られた時には、「約束が確実に守られている」状態、自分を「価値ある存在として、リスペクトして扱われる」状態」と比べています。
では、比較をする時には、私たちの心の中では、何が起きているのでしょうか。
比べている状態の時、何と比べているかというと、それは、私たちの「理想」だったり「期待」と比べています。
これを見に行こう、と思った映画に、なぜ失望するかというと、見に行く前に持っていた「期待」と違ったから、です。
とても素敵な人だと思って付き合ったのに、そうではなかったことがわかって、失望した、なんてこともありますね。それも、比べているのは、自分の中にある、彼・彼女への「自分の理想」に合っているだろうという「期待」です。
目の前の現実が、自分が思っていた理想や期待と比較して、自分(の価値観)にとって、ネガティブあるいはマイナスが強いと、失望します。(逆に、プラスが強いと、感動になります。)
この時、何が起きているかというと、
現実 ― ネガティブな部分
期待 ― ポジティブな部分
に、意識の焦点が当たっています。
これは、私たちの意識が気づいているもの、という言い方もできます。
気づいているもの、があるということは、気づいていないものもあります。
気づいていないものとは、
現実 ― ポジティブな部分
期待 ― ネガティブな部分
です。
ここまで読まれて、期待にネガティブな部分なんてあるのか? と思ったかもしれません。「ない」と思っているのが、私たちの普通の認識の状態です。
ですが、全ての物事には、ポジティブな面とネガティブな面、両方の側面があります。より正確には、全ての物事は、ポジティブでもネガティブでもありません。
それは、見る人の認識によって、決められるものです。
今、現実に失望している自分が「物事を見る人」なわけですが、理想や期待の”ある特性”をポジティブと見ている人だから、現実がそれと反対だと、それをネガティブとみなすのです。
あなたが理想や期待した特性を、理想と思わず期待しない別の人が見たならば、目の前の現実には、失望していなかったはずです。
なので、失望のタネは、それを行った人や対象のもの(映画とか)の中にあるのではなく、その反対を理想としている自分の『視点』にあるのです。
そこには、あなた独特の、『判断』が働いています。
それは、あなた独自の判断であって、世界の人に共通の判断ではありません。
その特性を「理想」「よし」とし、その反対を「わるし」とする、「あなたの」判断です。
失望が、自分の「理想」や「よし」と思っている自分の判断から生まれるのであれば、失望を経験しないためには、単純に、その理想やよしと思っていることの反対を「よし」とする『視点』と『判断』に変えれば良い、ということになります。
失望を経験する人は、何事にも高い理想を持っていることが多いものです。
だからと言って、この人たちは、理想を捨てろ、と言われても、捨てることはできません。
なぜなら、「その素晴らしい世界が存在する」と心の奥底で信じているからです。なので、心が純粋で綺麗な人が多いです。
そして、このような方々に「諦め」という言葉は存在しません。何度失望しても、「いや、世の中こんなもんでしょ。」とは思えないのです。
殺人犯の中にも愛の光はあると思っているし、それを見たい。
国と国は仲良くできると思っているし、それを見たい。
私が誠心誠意彼のことを考えてあげているように、彼にも私のことを誠心誠意考えて欲しい。
私の子供なんだから、このような状況ではこのように行動するはずだ。 等々。
どんな局面にも、自らの「理想」があります。
ここまで読まれてきて、「理想」と、そうあって欲しいという「期待」を捨てなければ、失望も経験し続ける、ことに気づかれた方も多いと思います。
でも、理想を高く持つ方々は、その理想を、捨てることができません。ではどのようにして、現在の理想やよしと思っていることの反対を「よし」とする『視点』と『判断』に変えていけば良いのでしょうか。
それには、理想を高く持つ人が持っている、あるたった一つの幻想を取り除けば良いのです。
理想主義の人が持っている幻想とは、
”理想の形には、ポジティブな面しかない”
”その反対には、ネガティブな面しかない”
です。
真実は、
”理想の形には、ネガティブな面もある”
”その反対には、ポジティブな面もある”
です。
そして、それぞれのネガティブな面、ポジティブな面、それぞれ、量的にも質的にも、同じだけあります。
理想主義の人には、それが「見えていない」のです。
例えば、誰かに裏切られた時。
裏切られた=ネガティブ
裏切らない=ポジティブ
という視点と認識を持っています。
ですが、真実は、
裏切られた=ポジティブ
裏切らない=ネガティブ
があるのです。
この、ポジティブ、ネガティブ、は、「裏切られた」という出来事そのもののもつポジティブ、ネガティブではありません。
先にお伝えしたように、出来事そのものにはポジティブもネガティブもありません。あなたにとっての、ポジティブ、ネガティブです。
裏切られたことのポジティブは、自分は裏切らないようにしよう、と考えるようになったこと、と言った「反面教師」的なことではありません。
それだと、その出来事を「ネガティブ」と見ていることに変わりはありません。
裏切られたことがもたらした、もっと直接的な、ポジティブがあります。
例えば、彼に裏切られたおかげで、別の人と付き合うことができた。そして、今の彼は、裏切った彼より断然良い! 仕事を頑張って、昇進した、などです。
自分が今、認知していないポジティブは、真実として、そこにあります。ですが、それに自然に気づくことは、本当に稀です。
裏切ってくれたおかげで、その後の人生があり、今の幸せがある、と言う真実には、機会がなければ、一生気づくことができず、裏切ってくれた彼に対する「失望」と、時にはそれが形を変えた「怒り」「恨み」、それらを抱えたまま、生きていくことになります。
そうなると、自分の本質で才能を発揮して生きることはできません。
失望することに出会ったら、幻想を取り除くステップとして、下記4つを実行してください。
1. その出来事が、あなたの人生にもたらした(もたらす)ポジティブを探してください。
そして、
2. その出来事を「失望」と思った自分は何を「理想」としているのかを特定してください。
3. 自分が理想としているもののネガティブを探してください。
4. 理想が打ち砕かれることを確認してください。
これで、理想を理想としている幻想が打ち砕かれます。
1と3は、20-50個、探してください。
自分の中で、ネガティブと同じだけポジティブが、ポジティブと同じだけネガティブが、自分の理想にもその反対にもあると、心から思えるまで、続けてください。
自分が今見えていない要素は、強制的に見に行かない限り、見えることはありません。
失望に限らず、困難なことに直面した時、立ち止まって行動ができなくなってしまう、いわゆる「落ち込んでしまう」のは、自分を見つめることで、これに気づくようにという、人間の修正本能から来ています。
その間に、自分で気づく方も稀にいます。
ですが、ほとんどの場合は、無理くり自分を納得させて、立ち上がります。
身体的には立ち上がっても、次に進んでいても、心は立ち上がっていません。まだ同じ視点で留まっています。
精神性、という面で言うと、まだ同じ場所に留まっています。
精神性が高まる、と言うのは、幻想が一つ一つなくなっていくこと、見えている真実が増えていくこと、を指します。
困難な出来事というのは、何が見えていないのかを気づかせてくれ、その時点における幻想を解き、真実を見るための機会を与えてくれているのです。
困難に直面したら、心に傷を追ったまま、無理やり立ち上がるのではなく、
一つ見える真実を増やしてから、立ち上がりましょう。
それができたら、見える真実を増やすきっかけを与えてくれた、「裏切ってくれた人」に感謝ができます。感謝ができた瞬間、私たちは、「今ここ」に戻ってきています。
その状態、マインドフルネス、中庸の状態にあって初めて、才能や自分の本質というものは発揮できるのです。
心からの感謝の念に満たされている時、私たちの心には、愛が充満しています。感謝の状態は、もれなく愛の状態であるのです。それは、今ここにいる状態。
つまり、感謝の状態ではない、他の全ての状態は、今ここにいる状態ではないということです。失望している状態、というのは、今ここにいる状態ではありません。
失望が比較している「理想」は、過去のどこかで作った「記憶」に基づいているので、失望している状態は、過去の住人になっている状態です。
失望を引きずっている状態は、失望自体が過去の出来事であるので、二重に過去に生きています。
それが、心の重荷となって、あなたの本質発揮の邪魔をします。
なんと、勿体無いことをしていることか!
失望は、相手が作ったものではありません。
あなたの「視点」が作ったものです。
失望の原因を相手がしたことに置いている状態は、今ここにいない状態です。
でも、あなたの視点(が見えていない部分)に意識を向ければ、真実が見え、あなたは今ここに戻ってくることができます。
これはポジティブ、あれはネガティブと二極化されていたものが、感謝(と愛)という形に統合されるという言い方もできます。これが、意識の拡大と呼ばれているものです。
人生とは、出会う出来事を通して、持っている幻想を感謝と愛に一つ一つ統合していくプロセスだと私は思っています。
望む人生は、統合の結果、具現化されていくものなのです。
今回の記事では、失望、という人生で誰もが経験する出来事を通して、ポジティブとネガティブの二極を統合し、視座を高め、精神性を向上させる、その時に使える考え方とワークをご紹介させていただきました。
今は関係ないや、と思っても、いつか失望に見舞われることに直面することと思います。その時には、この記事を思い出して、ワークをやってみてくださいね。
必ずや、それを乗り越え、より豊かな心と人生を生きるために使っていただけることと思います。
それでは、この後も、穏やかに輝く1日を!
「自分が自分であって良い」という自分に根ざした感覚を一緒に探求し、本来の自分がチャレンジしたい人生を生きるためのサポートをするライフコーチ。人生デザインアカデミー協会®認定コーチ、兼「本来の自分を生きる」ための教育を施す北欧教育をベースとしたグローバル教育アドバイザー。
本来の自分を科学的なメソッドで思い出し、本来の自分を生きるためのキャリア設計と家族の良好な関係を構築するサポートをしています。